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判断基準あれこれ

Posted by Nanoka on 07.2014 囲碁サイコー 0 comments 0 trackback
何か迷った時に決断する「判断基準」は人それぞれ。
「価値観」という言葉に置き換えられるのかも知れません。

例えば、何かを買う時。
お仕事を選ぶ時。
おつきあいで悩む時。
遊びの行先を決める時。
お食事する時。
エトセトラ。

データ的・スペック的、その他諸々の客観的条件は
ほとんど変わらなくて、どちらも優劣つけがたいって時に
その人固有の判断基準が発揮されると思うんですね。

場面は無数にあって、同じ人でもその時その時で
判断基準をいくつも持っていると思うのですが
おしなべて見ると、その人によって
メインとなる判断基準はだいたい決まっていたりします。
それが価値観だったり性格だったりするのかな~。

具体的にどのような判断基準があるかと言うと
それもまあ様々なのですが。
一例をあげると。

正か誤か。
善か悪か。
美か醜か。
得か損か。
好きか嫌いか。
その他いっぱい。

長くお付き合いしていると
だいたいその人の判断基準も分かってきます。

デリケートで神経質。いつも細かいことが気になる。
玄関の靴の並べ方がほんの少しズレているだけでもイヤ。
っという高校時代の友人は「美か醜か」
なるほどね。お家もいつもキレイだったもんね。

ギャンブル好きの元上司は「リスクかリターンか」
ですよね~。分かりやすいです。
いつもハイリスクハイリターンでしたね。

可愛いものやメルヘンチックなものが大好きで
いつも夢見る少女的だった後輩は・・・即答。
「食えるか食えないか!」
ぇっ?案外リアリストだったのね。

因みに私は。
結構感情的で気持ちに左右されやすいタイプなので。
「好きか嫌いか」だと思われがちなのですが。
ちょっと違って「快か不快か」だったりします。
そこにたまに「美か醜か」や「上品か下品か」ってのが
加わることもあります。
今では随分落ち着いてきましたが
もともと感情は激しい方なので「あいつ嫌い!」とか
よく言ったりしますが実は今までの人生で
本当に積極的に嫌いな人は2人しかいません。
あとの「嫌い」は単に「不快」だっただけで
その人の全人格を否定するわけでもなく
嫌いとかいいながら普通にお付き合いできてたりします。

で。
こういうのって性格だからやっぱり囲碁にも出るのかな?
なんてことを考えてみたんだけど。
まあ「読めない人」な私に限って言うと。
さすがに「正か誤か」ってのはほとんど考えないです。
詰碁ですら考えないのがかなり大きな問題ですが。

よく分かんないけど、このへんがよさげ~。
なんとなく雰囲気~。
ここ打たれたら気分悪いな。
良くないかもしれないけどどうしても
こっち打ちたかったんだよ!
もうね。全く根拠ないっす。
でもやっぱりどこか「快か不快か」なんだと思います。
そしてもちろん負けたら悔しいのですが
それもやっぱり「快か不快か」で、勝敗よりも
負けても清々しく前向きになれるかどうかが重要です。
相手にもよるよね。みたいな。
不快になりそうなときはあらかじめ避けます。

非常に残念なのは。
「正か誤か」はもともと持ってないから仕方ないけど
「美か醜か」ってのが囲碁の時に出てこないこと。
カタチ・・・orz

因みに囲碁ですから。
「強いか弱いか」とか「大きいか小さいか」
というのが浮かぶのですが
これはそもそもスペック的なことでして。
「客観的条件が同じ」という前提にそぐわないのでスルー。
でも、自分の石と相手の石が同じくらいの弱さの時は。
色んな判断基準が発揮されるかもですね。


まあ。
非常にいい加減な基準です。何の役にも立ちません。
あくまでも話のネタ、お遊び的なことでして。
真面目に突き詰めるとおかしなことになります。
でも、前述の「食うか食われるか!」の後輩ちゃんが
囲碁を打ったらどんな碁になるんかな~。
ひたすら実利?それとも石の取り合い?
ちょっと興味があったりします。







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ヨセまで行きたい気持ち

Posted by Nanoka on 30.2014 囲碁サイコー 0 comments 0 trackback
最近。
囲碁のことを考える時間が少しだけ増えました。
まあ・・・ゼロだったものが2になった程度だけど。

まだまだ一局打ち切るのがしんどいのですが
それでもたま~にコソッと打ったりもします。
一局のうちに何度も自分なりの判断をする場面があって
形勢判断なんていう上等なことはできないのですが
「そもそもこの石は生きてるの?」というレベルで
手入れが必要かどうか分からんくなります。
結構一生懸命に勉強したつもりだった基本死活の形も
見事なまでに「失敗例」の見本みたいのを打ったりね。
いあいあ、それだと五目中手になりますやん。みたいな?
まさに、勉強した「つもり」だっただけだと改めて認識。

もぉぉぉぉぉ!誰やねん!
囲碁なんてものを考え出したのはっ!
ホントむずいっす。
それが楽しいんだけどね。

もともと布石は好きです。
右脳派の私は、答えがある死活とかヨセが苦手。
そして非力なので戦いも苦手。
まあ、布石も得意なわけではありませんが
とりあえず好きってだけのお話。

ところがこのところ。不思議なことに。
ちょっとだけヨセが楽しいかも?と思ったりします。
念のため申し上げておきますが
ヨセが得意になってきたということではありません。
ぶっちゃけある程度になれば誰もが知っている
「この手は出入り何目」というのも分かっとりません。
しかも、形勢が良くなさそうとかヤバイって時ほど
フツーの大きな手が打てなくて
後で見たらちっちゃいとこばっかり上手に選んで打ってます。
意味わからん。

要するに。ヨセなんかちっとも分かってない。
まあ、囲碁そのものを分かってないとも言いますが。
にも関わらず。
出来ることならヨセまで打ちたいな~と思うわけです。
で、一局の中で一手だけでも逆ヨセが打てたり
最大級らしき手が打てたりするとやたら嬉しい。
なんだろうね?これ。

最初の頃は地を囲うしかできない囲碁でした。
だから、全部受ける。そして最後は足りない。
これじゃダメだと思い、やっと詰碁や手筋を
ほんの少し勉強するようになって
「戦う」ということを覚えました。
だけどそもそも非力だからさ。
威勢はいいけどつぶれるんだよね。
勝つのも負けるのも中押しの碁が多くなりました。
その頃は「ヨセ?何それ。オイシイの?」みたいな。


それがまた少し。変わってきてるのかな。


よく色々なアドバイスをくださる高段者の方に
「息の長い碁」という言葉を教えて頂きました。
少々悪くても我慢して踏ん張ること。チャンスを待つこと。
さっきまで良かったのに。とか
大石取られちゃった。とかはすべて過去のこと。
今、目の前の盤面に集中して、そこからまた
手を探したり考える努力をするのが大事なんだ。と。
言われてみれば当たり前。だけどちっとも分かってなかった。

だからかな。ヨセまで行きたいと思うのは。
ちょっと遅すぎる気もしますが
少~しずつヨセのお勉強もやってみるかな。

もちろん。
我慢するだけじゃなくて反発もしたいし
お相手が調子に乗ってきたときには
「ん?ところでオタクは大丈夫?」的なカウンターを
バシッと入れられるパンチ力も欲しいですけどね!


囲碁ってホント、難しい。でも楽しいね。



おかえりなさい!

Posted by Nanoka on 29.2014 囲碁サイコー 2 comments 0 trackback
大好きなみゆき先生が。
大阪に戻ってこられました!


なのかのかけらでは何度かお話したこともあったので
ご存知の方もおられると思いますが。
みゆき先生は私が師と敬愛する方で囲碁親友です。

初めて私に囲碁を教えてくださったのは
当時、関西棋院で入門教室の講師をやっておられた
学園先生という方で、とても教え方がお上手で楽しくて
私は初日にいきなり囲碁にハマりました。
学園先生と出会わなければ、すぐ辞めちゃったかな。

その後、13路盤のクラスに進んだ時に出逢ったのが
みゆき先生です。
学園先生同様に気さくで教え方もお上手で
いつも生徒の目線で熱意をもって
囲碁の楽しさを教えてくださいました。
年齢は随分離れているのですが(もちろん私がおばちゃん♪)
なぜか気が合って、囲碁以外のお話もするようになり
プライベートでも仲良くしてくださいました。
私がよく行っていた囲碁会の大会で初めて優勝した時には
涙ぐんで喜んでくださいました。
一緒に団体戦に出たこともあったね。
囲碁が強くなれないことを嘆いて、泣きながら電話をした時は
「囲碁のことで泣ける貴女が素晴らしいです!」
って、言ってくれた。本当に救われた。
私が少し「囲碁らしく」打てるようになった頃に頂いた
とてもキレイで上品はお扇子は今も大切にしています。
みゆき先生と出会わなければ、今の私はありません。

6年前だったかな。
プロ棋士であるご主人と一緒に東京方面に行かれた時は
私もすでにウツを患っていたこともあって
ショックの度合いがハンパなく
とても寂しい想いをしたことを憶えています。


今日のお昼に。
いつも仲良くしていただいている囲碁友達の方から
「みゆき先生が大阪に戻ってるらしいで」
という情報を頂きました。

もう長い間連絡もしてなくて。
したくてもなかなかできなくて。
だけどいつも。忘れたことはなかったから。
みゆき先生忙しいかな。って思いながら
今ではすっかり苦手になってしまった電話を
かけずにはいられなかった。

電話に出てくれて、声を聴いた時。
嬉しかったなぁ。
ちょっとウルッとしちゃったよ。
懐かしい声。

30分程度でしょうか。
お互いの状況を報告しあいました。
話出すととまらないんだけど、
端折って端折って話しました。

みゆき先生とご主人は、埼玉におられた頃
子供の囲碁道場をやっておられました。
多分ご苦労もたくさんあったことと思います。
なんせすべてが一からでしたので。
でも、たまにブログを拝見しては
元気で頑張っておられるんだな~と思っていました。

この春。色々とご事情もあったのでしょう。
教えていた子供たちの進路もあらかた決まったのを機に
大阪に戻ってくることになったそうです。
そしてすでに4月から、また新たに囲碁道場を開かれました。
プロを目指せる子供を育てる囲碁道場で少人数制。
平日は東三国の道場で、日曜日は日本棋院関西総本部で
教室をやっていかれるそうです。
愛情と厳しさにあふれた素晴らしいご夫婦なので
わが子を鍛えたい。と思う方は是非!
一度仲邑囲碁道場をのぞいてみてください。


本当に嬉しいです。
お出かけすることをしばらく諦めたから
すぐには会えないかもしれないけど。
だけど、また会いたいから。
会って碁盤を挟んで手談をしたいから。
うん。励みになりそうです。

みゆき先生。
おかえり。



変わったこと 変わらないこと

Posted by Nanoka on 10.2009 囲碁サイコー 4 comments 0 trackback
囲碁のルールを初めて知った日から
もう丸5年以上が過ぎました。
途中でイヤになったり、やる気ゼロ状態に陥ったり。
しばらく囲碁を離れていた期間もありましたが。
とりあえずは細々とでも続けてきたおかげで
なんとか世間一般で言われるところの「初段」まで
やっとこさたどりついたかなあ・・・という状況です。


昨日。
このブログをリニューアルしたのを機に
初代「なのかのかけら」を読み返してみました。
元々、書きっぱなしで見直しもほとんどすることなく
モノ書きのはしくれとしては忸怩たる文章だったりするので
普段はあまり読み返したくないのですが。
まあ、ちょっと懐かしさもあってね。

で。
囲碁のカテゴリに分類していた記事をざ~っと見たんですが。
囲碁を通して、本当にまぁ色んな経験をしてることしてること。
色々な出会いがあり、様々な想いがあり。無数の学びがあり。
泣いたり笑ったり、落ち込んだりスッコケたり。
しかもまぁ、初心者の頃から囲碁について
随分と偉そうに語ってることと言ったら・・・。
こっぱずかしいったらありゃしない。
まぁ、偉そうなのは今でもなんだけどさ。

でもでも。
あの頃も今も、囲碁が大好きだということだけは
なんにも変っていないんだなと、つくづく実感致しました。
楽しさや苦しさの内容や質は少し変わったかもしれないけど。
打つ時の緊張感や、囲碁を通して得られる感動は
なにひとつ・・・変わってない。

囲碁って本当に。
素晴らしいなぁ。


変わったこともたくさんあります。
まずは、棋力がちょこっと上がりました。
そして、色々な出来事を通して、苦しんだりもしつつ
勝敗だけにこだわらなくなりました。
誰が誰より強いとか弱いとか。
そんなことも、ある意味どうでもよくなりました。
そして、努力を努力と思わなくなりました。
平たく言えば、勉強することがさほど苦ではなくなったのかな。
かと言って、ものすごく勉強しているわけではありません。
ただ「勉強」という言葉に尋常ならざる拒否反応を示していた頃に比べれば
知りたいと思うことを追求するのが楽しくなったのでしょうか。

中でも特に「詰碁」。
囲碁を始めて2年ほどは、ほとんどしませんでした。
「なのかのかけら」を読んでいても分かりますが
当時は本当に詰碁が大嫌いで。
なんとか避けて通ろうとしてたんですねぇ。
詰碁をしないといけないくらいなら
囲碁なんかやめてやる!っと、本気で思っていましたので。
詰碁の本を開いた瞬間に、眠りに落ちてましたから。


そんな私が詰碁を少しずつでも続けるようになったのは。
ある時期から「戦えない」自分がイヤになったんですね。
読めないから戦えない。戦えないから強くなれない。
よく教えていただいていたある高段者の方の
ほとんど強制的と言っていいほどのすすめもあって。
切羽詰まって詰碁を始めたわけです。

最初はねぇ。
すぐに効果が出ないもんだから。
なぁんか、面白くなくてねぇ。
でもそんな時に、あるプロの先生からこんなことを言われたのです。

半年。半年頑張ってみなさい。
それまではなかなか効果を実感できないかもしれないけど、
その代わり一度効果が出れば、それは一生モノです。


一生モノ!!
マジで!!??


その言葉だけを励みに、やりました。
もちろん、難しいのはやりません。
だって、分からないとつまんないし。
つまんないと続かないし。

なので、本当に初心者から初級者レベルの
簡単なものだけをちょびっとずつやりました。
そして、やっているうちに。
イヤだ。嫌いだ。という気持ちも少しずつ減ってきました。


あの先生がおっしゃったことは、真実でした。
半年近く経った時。
あれ? なんかちょっと・・・わかる?かも??

それからですね。
詰碁の本を開いても、あんまり眠くならなくなったのは。
今でも決して詰碁が好きなわけではありません。
そして今でも、簡単な問題しかやっておりません。
でも、1日1問でも。出来るときは10問でも。
やることがさほど苦ではなくなったようです。

だからと言って、私の死活力が「武器」と言えるほど
向上したわけでもないのです。
ただ単に、最初の2年間にほとんど詰碁をしなかった借金が
少しずつ減ってきたかなぁ・・・というだけのこと。
だけどあの頃よりは。
少しは戦えるようになったかもです。


しかしあれだな。
あの頃の私が今の私を見たら。
きっとびっくりするだろうなぁ。
一体、何をトチ狂ったのだと。
何故、詰碁のようなシチメンドクサイことをしてるのだと。

逆に。
もし今、あの時の私に語りかけることが出来るなら。
言ってあげたい気もする。
「やっぱり少しは・・・詰碁やっといた方がええよ」


まぁでも。いくら言っても同じでしょうね。
きっと、やるべき時にやり始めたってことでしょうから。
そういうめぐりあわせなんでしょう。
子供の頃から囲碁を始めていたら・・・とか言うのをよく聞くけど
それも同じこと。
始めるべくして始めた。出会うべくして出会った。
ただそれだけのことなんだろうな。
と、同時に。
イヤだという気持ちで無理やり何をやったとしても
やっぱりダメなんだろうな。

懐かしい日々を思い出しながら
そんなことをつらつらと考えた昨日であります。


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